文章のプロ、ばかりじゃない?
2020年4月29日 日常インターネット上の記事。
プロの人が書いてるんだよね? と思う日々。
変換ミスとか、助詞がおかしいのとか、当たり前みたいになってる気がしてます。
コメントなんかの変換ミスや助詞がおかしいのはデフォルト? と思いながらも、日本って、大丈夫かなとは思うけど。
なんだか、きちんと読んだのかな? ってコメントも多いし。
自分の都合のいいようにしか読んでなかったり、そんなこと書いてないよね? って思うのに、噛みつくようなコメントだったり。
読む力が落ちてるのかなと、不安になります。
自分以外の誰かへの優しさに欠けてない? って思うこともあります。
全てがそうではないから、良心的な方がたくさんいることに、安堵もあります。
あ、今気づいたけど、プロはプロでも文章を書く、じゃないのか! もしかして。
その道の、プロ的な?
これ以降、ある意味グチ。
なんだかなあ、と思い続けてるのが嫌で吐き出してしまいたくて。
すみません。
最近、マナーっていうか、気遣いっていうのがない気がする、って少し前に母に話したら、「そんな人昔からいるでしょ」って言われて、そうかなあ、と疑問に思った。
私がその時思ってたのは、急いでいたので人のいないとこ抜けつつ改札目指してたら、男性が邪魔するように体を割り込ませてきたこと。避けながらも急いでいたら急に私の左斜め前からぶつかってきて、跳ね飛ばしてきたこと。私としてはぶつかられたので、痛いなあと思いつつ、そのまま改札に行こうとしたら「謝れ」と言われ、急に後ろから腕を掴まれたこと。あなりに理不尽だったけど、一言謝って逃げました。関わりたくなくて。
あとで「当たり屋」と呼ばれる人がいること。その人が現れるとされる駅だったことを知りました。自分より弱いだろうと思う人を狙うって、人としてどうかと思うけど、そういう人がいるのが現実です。
何が楽しくてやっているんだろうというのが、素直な気持ちです。
というか、これはマナーや気遣いと同列にしたらダメな人か。うん。違うな。
具合が悪そうな人に声をかけて気遣う人がいる一方で、こんな理不尽なことをする人がいる。
人への優しさを優先する世の中になってほしいです。できるだけ、でいいので。
プロの人が書いてるんだよね? と思う日々。
変換ミスとか、助詞がおかしいのとか、当たり前みたいになってる気がしてます。
コメントなんかの変換ミスや助詞がおかしいのはデフォルト? と思いながらも、日本って、大丈夫かなとは思うけど。
なんだか、きちんと読んだのかな? ってコメントも多いし。
自分の都合のいいようにしか読んでなかったり、そんなこと書いてないよね? って思うのに、噛みつくようなコメントだったり。
読む力が落ちてるのかなと、不安になります。
自分以外の誰かへの優しさに欠けてない? って思うこともあります。
全てがそうではないから、良心的な方がたくさんいることに、安堵もあります。
あ、今気づいたけど、プロはプロでも文章を書く、じゃないのか! もしかして。
その道の、プロ的な?
これ以降、ある意味グチ。
なんだかなあ、と思い続けてるのが嫌で吐き出してしまいたくて。
すみません。
最近、マナーっていうか、気遣いっていうのがない気がする、って少し前に母に話したら、「そんな人昔からいるでしょ」って言われて、そうかなあ、と疑問に思った。
私がその時思ってたのは、急いでいたので人のいないとこ抜けつつ改札目指してたら、男性が邪魔するように体を割り込ませてきたこと。避けながらも急いでいたら急に私の左斜め前からぶつかってきて、跳ね飛ばしてきたこと。私としてはぶつかられたので、痛いなあと思いつつ、そのまま改札に行こうとしたら「謝れ」と言われ、急に後ろから腕を掴まれたこと。あなりに理不尽だったけど、一言謝って逃げました。関わりたくなくて。
あとで「当たり屋」と呼ばれる人がいること。その人が現れるとされる駅だったことを知りました。自分より弱いだろうと思う人を狙うって、人としてどうかと思うけど、そういう人がいるのが現実です。
何が楽しくてやっているんだろうというのが、素直な気持ちです。
というか、これはマナーや気遣いと同列にしたらダメな人か。うん。違うな。
具合が悪そうな人に声をかけて気遣う人がいる一方で、こんな理不尽なことをする人がいる。
人への優しさを優先する世の中になってほしいです。できるだけ、でいいので。
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